敷地は、これまで培われた多くのものが存在し、関わる人たちの想いまでも感じることができる場所である。既存樹や作庭の状況だけでなく、今も残る住居にもその感覚は溢れていた。この住居は古く、明治期に建てられた洋館をベースに増築や補強・補修が施され、園の創設者の方が最期まで住まわれたが、現在は主に地域の方々の交流や子育て支援に使用されている。およそ80年前、初めて子供たちを受けいれた、園の発祥の場所となった1階の洋間は残存し、今はたくさんの写真やゆかりあるものが展示され、これまでの時や記憶、思い出に満たされていた。年に一度は子供達をこの部屋に招待し、園の成り立ちや先人の想いをつたえるイベントを行うという。2階には園長先生や前理事長が子供時代に過ごされた部屋があり、壁にかかる絵画や多くの調度品など、其処彼処に家庭の趣が今も濃く残っていた。

いろいろなお話を伺い現地の確認を進めていくほどに、素直な疑問をいだく。何故これほど大事にされている場所や空間を解体し、新たにつくるのか。耐震補強を行い、間仕切りを撤去し拡張すれば大きな部屋を確保することもできるし、加えて設備を更新すれば、相当の期間は使用できるものになるはず。そう思案しながら、一方で作り替えることの意味も再認識する。
ものはいつかは壊れ朽ち果てる。それを阻止すべく更新を施し、ものに再び命を吹き込む。その方法は、部分的にもまた全体的にも然りであろう。形を維持することによって機能や風景が再現され、想いが継続されることもあれば、新しい風景の中に情景として視覚化され、想いがつながり広がっていくことも考えられる。ただその糸口は、様々な要素の中から変わらない芯のようなものを見出し、活かすことが肝要であると推測した。
先人は、子供たちにとって有意義であるのなら、どんどん新しいものを取り入れなさい、と仰り実行する方であったと拝聴する。大事なことは、こどもたちへの想いをいかに強く、あたたかく、そしていつまでも持ち続けることなのかもしれない。ふと、そのようなことを思いつつ、さて、それをどう作るのか、中々の重責を感じる。可能性のある方法を一つづつ検証することから始める。
